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かにが坂飴の由来
かにが坂飴の由来
「蟹ヶ坂飴」は、古くから土山宿の名物と知られ浅井了意の「東海道名所記」(万治元年1658年)に「生野、茶屋あり、飴を煎じて売る。」とあります。
大昔、鈴鹿山麓に身の丈3mの巨大な蟹が出没し、旅行く人や近郷の村人に危害を加えていました。
ある時恵心院の僧都がこの地に赴き、大蟹に印明を示し、さらに大慈悲深く天台宗の「往生要集」を説き、説法を施すと不思議にも大蟹が随喜の涙を流して悪行を悟るが如く、我が身の甲羅を八つに割裂いてとけ失せました。
僧都は八つの甲羅を埋めて、蟹塚を建てると、不思議にも蟹の血がかたまって、八個の飴となったそうです。それを竹の皮に包んで村人に授け、「この八ツ割飴は、諸々の厄除けに効あり」と伝えました。(蟹塚は現在も残っています)
その後、数百年に亘り「厄除けの蟹ヶ坂飴」として世にその名声を高めたと伝えられています。
江戸時代では、旅の疲れを癒す糖菓子として旅人に喜ばれました。
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